麦わら帽子の少女


香川県の八栗五剣山のケーブル発着場の前で、ケーブルに乗ろうとした妻に

「今日は暖かくて、日和もいい、体調も良さそうなので歩いて登ろうよ。」

と声をかけて、登山道を歩いて登ることにした。

ゆっくり歩いているのだが、坂はきつく病後とあって息が切れてきた。

八栗寺境内までの中間あたりの道沿いにベンチがあり、そこがちょうど日だまりになっていていたので一息つくことにした。

夫婦で腰をかけミカンをほうばりながら、ぼんやり山道を見つめていると、30年前の記憶がじわっといとおしくよみがえってきた。

それは暑い盛りの頃だった。

八栗の登山道はアブラゼミの鳴き声が暑さを増幅させていた。

私の家の神棚には八栗神社の歓喜天が祀られており、正月、5月、9月の年3回八栗神社をお詣りする慣わしとなっていて、この日母の願いで連れて来たのだが、母はケーブルカーで山頂の神社に向かい、私はいつもそうするように山道を歩いて登った。

歩いても25分程度だから、汗をかいても運動には丁度好いあんばいなのだ。

普段は、登り降りする巡拝者を多く見かけるのだが、この日は人通りはなく山は蝉の声以外閑散としていた。

急勾配の坂を上りながらフト目を上げると前に大きな麦わら帽子を被った高校の制服姿の少女が歩いていた。

追いつき横をすり抜ける時その横顔を見た。

首にはタオルを巻いていた。

大きな目で、鼻筋が通り、まだあどけさが残る綺麗な子だった。

しばらく歩いていると後ろで息づかいが聞こえた。あの子だなと思った。

感覚的には私の5メートルくらい後ろを歩いている。歩くペースを上げて追いついてきたのだ。

その子は人道りがないので不安になり、私に付かず離れずの程度に距離をとって歩いているのだろうと思った。

弾むような息づかいを背中越しに感じながら坂を登った。その息づかいはずっと続き、私は何とも甘美でうっとりとしたような気持ちがこみ上げてきたのだが、なぜか振り向いて声をかける勇気がなかった。

それどころか私の足はますます早足になった。

このため少女の息は“はぁはぁ”と次第に荒くなってきた。

鬱蒼とした林を抜け、視界が開けると対面の屋島の稜線がくっきり見えた。

山門の前には当時、土産物屋やうどん屋が建ち並んでいて、そこには何人か参詣客がいた。そこで振り返ったらその子は消えていた。

母と落ち合って、いつもの巡拝コースの通り歓喜天、八栗寺、五剣山を望む中将坊、太子堂と一通りお詣りし、境内中央の広場に戻った時、再びその子がいた。

八栗寺の前の観音様を神妙な顔で拝んでいた。

何か天使のように見えて、声を掛けなかったことを悔いた。

                  

あの息づかいが今懐かしく想い出して、甘くて、熱い気持ちになった。

妻には何も言わず、「さぁ行くか」と腰を上げて八栗寺の境内に向かった。

(忠)


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