妻との折り合い


我が家の前を散歩している同級生に、「のんびり散歩を楽しんでるのか」 と声をかけると、

「いいや、家の鬼婆婆がヒステリーを起こしているので、圏外へ逃れてるんだ。」 と答えた。

どことも同じだなと思うとうれしくなってほくそ笑んだ。

先日の朝食後、将棋・囲碁チャンネルを見ていると、妻が 「テレビ消してよ」 と言う。

「うるさくてイライラするわ。貴方は遊んでばかりいるけど私一日中働いてるのよ。静かに落ち着く時間が欲しいのよ。」 とイラついた顔で命じた。

昼食後 「先日の番組NHKでプロフェッショナルを貴方に見せようと録画しておいたの、茂木健一郎先生の脳活性化法で、脳の老化を防ぎ若さを保つ極意が紹介されているの。暇そうにしているのだから見なさいよ。」

「興味ない」

「何言ってんのよ脳の老化を防ぐのよ、すぐ見なさいよ。」 と命じる。渋々見る。

脳の活性化には、

1.夫が家事を手伝うこと。

2.細々とした雑用を面倒くさがらずにやること。

3.妻の目を見てできるだけおしゃべりをすること。

等々妻の都合のよいことばかりが強調されている番組だった。余り退屈で途中で席を外そうとしたら、「どこへ行くのよ、自分が家事なんかしたくないから見ようとしない、ちゃんと見なさいよ。」 と怒鳴った。

3時のお茶の時間になって、生姜紅茶に生菓子を食しているとき

「貴方私の目を見て、話を聞いてよ。何時も下向いているか、テレビを見ているかでしょう。だから脳が退化するのよ。」

「将棋もしているし、ピアノもしてるから心配はない。」

「そんなの遊びでしょう、私ばかり働いて、私を家政婦だと思っているの。貴方だって少しは働きなさいよ。」 と絡んでなじった。

ご主人様をなんだと思っているのだと思う。家事だって今でも十分手伝っている。

「ちょっとでぇ」 と妻は言うが、朝起きれば、窓を開け、朝食の支度をする。

味噌汁も作る(具材は妻が用意)。ゴミは出す。洗濯物は取り入れて折りたたむ。風呂の掃除はする。庭の草も抜き掃除もたまにする。

これだけでもありがたいと思わなくちゃならない。

別の友人から電話があった。

「この間の検診で、医者が腎臓の機能が50%も落ちてるから、もうちょっと進むと透析だと言いやがる。歳老いて透析なんてするようになってみろ、死んだ方がましだと思うぜ、おまけに歳をとって仕事もない。年金だって少なくて、もう妻は愛想尽かして絶縁状態、破局はもうすぐそこに来ている。お前んところはいいなぁ。年金はたくさんあるしウチノボロヨメと違って才色兼備のヨメハンがいて。老後も楽しいだろう。」

「何バカ言ってる。ウチも同じ、もう離縁したいができないでいるんだ。」

どこも悪妻が多いようだ。

ソクラテスの妻クサンティッペは、ある時ソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせたそうだ。それでもソクラテスは平然と 「雷の後は雨はつきものだ」 と語ったという逸話がある。またソクラテスは 「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから。」 と言ったそうだ。

そういえば有名人の悪妻の話は山ほどある。千円札になった野口英世の妻メリー・ダージェスはメチャクチャな浪費家で野口の金を使い果たしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、家のなかで野口をぶん投げたそうだ。

妻の父親から毎日のように、妻に電話がある。両親とも有料老人ホームに入居しているので、妻は2日を空けずに通っているのだが、それでも夕方になると電話があって、たまに私が電話口に立つことがある。義父は軽度、義母は中程度の認知症を患っている。

「女房が暴言をはくは、杖を持って暴れるは、ほんま情けない。私は生傷がたえん。どうしたらええんやろか。」

普段は 「すぐホタンを押して施設の職員を呼んで処置して貰ったらいいんです。施設には看護師さんもヘルパーさんもいるのだから。」 と答えるのが常だが時に 「ウチも同じですよ、妻は何時も暴れてます」 と冗談めかして言ってみるが、認知症の義父には通じないようだ。

先日NHKのドキュメンタリードラマを見ていたら、夫が妻を介護しており、夫が妻につぶやくのである

「妻は長年私を支えてくれた。妻のカラダは私のカラダの一部だ、養生しないといけない。」

私はこの台詞に感涙した。

この奥さんは ”心根の優しいよくできた奥さん” だったんだろうなぁと思う。

そう言えば、私が病に倒れた時の頼りは妻だった。今も生活力の薄い私には妻がいなければ、ウジがわくのではないかと思ったりもする。熟年離婚はカラダに悪いし、男には一方的に不利である。折り合いをつけるしか道はないのである。

そのような思いを巡らせているとき、妻がデジタルカメラのケースがないと騒ぎ立てている。昼間、孫を撮影するのに使ったのだが、妻は私の部屋まで押しかけ 「ケースを何処へやった」 と迫る。

「貴方からカメラを受け取ったときにはケースはなかった。私はケースとカメラを別々にはしない、貴方が充電したときにどこかにやったのだろうからすぐ探して。」 と言う。

「そこら辺にあるだろう、ケースから取り出して写すのだから、周辺にあるはずだ。」 と応える。

「無いから探して、貴方のセイだから早く見つけて。」 と言う。

果たしていくら探しても見あたらない。

「娘夫婦が間違えて荷物に紛れ込ませて持っていったんじゃないの。」

「さっきメールで確かめたけど、そんなの無いと返事があった。」 と詰め寄る。

「無いものはしょうがないだろう」 と寝室に逃亡する。

一時間後妻が寝室にやってきて、「ケースが出てきた」 と言う。

「庭側のカーテンの下に隠れていた」

「それなら犯人はお前じゃないか」 と言う。たしか、孫を最初に撮影したのは妻だから、ケースを取り除いたのは妻なのだ。

「私を犯人と決めつけて怒り狂ったのは誰だ。冤罪ではないか。」 と力なく言葉を投げつけるが、「フ・フ・フ・フ・フ」 で終わる。

もう妻と2人の老後を考えると暗澹としてくる。

今回芥川賞を受賞した ”終の住処” に11年間口をきかずに同居している夫婦が描かれているが、こんなことができればよいが、夫婦2人の生活では不可能だ。しかしできれば口をききたくない。老婆心ながら、読者の皆様に申し上げます。皆様、読後、筆者の妻よりウチの妻がまだマシだなと思われる方は幸せです。こんなもんじゃないぞと思われる方は、離婚した方がよいですぞ。

(忠)


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