菩提寺


「お仏壇のなかに他家の位牌あるの貴方知ってるでしょう。貴方も以前仏壇のなかに位牌がぎっしり並んでいて俺の入る場所がないって言っていたわよねぇ、当家の中に親戚である他家の位牌が2柱もあるのよ。」 と妻が切り出だした。

「そりゃ貴方で10代目となるんだから、長い年月の間に色々事情があっただろうけど、父や母が亡くなってしまった後、確かめようがないでしょう。それで気になってね。2年前に私の信仰する宗教の司教さんに問うてみたのよ。そしたらその位牌のお家方に引き取って貰うのが一番良いって仰るのよ。それで電話でその趣旨のことそれぞれ先方に電話したのよ。そしたら叔母様なんか、そちらで処分してくださいと、とりつく島がないのよ。」 と幾分悔しいそうに言った。

「そう言うだろうな叔母さんなら。」

「それでも、何とか位牌を引き取ってもらえますようにと毎日お祈りしていたのよ、だけど貴方が次々に癌を患うし私の体調も悪くなる一方だし、何とかならないかと思うでしょう」

「そうだけど。」

「それじゃあと思ってお寺の住職に相談したのよ。そしたらね、その位牌を私の寺で預かると永代供養となるので、お寺の協会規定で一家につき100万円を頂くことになりますって。私びっくりして、その他の方法はないですかって問うてみたのよ。そうしたら、位牌のお家方にて引き取って貰うか、その家の菩提寺に預かって貰うのがいいでしょうって司教さんと同じ事を仰るのよ。そうよねぇ他家の仏さんだって、うちの仏壇の中に居て、心細い思いをしていると思うの、盆や、お彼岸だって仏さん帰るとこ無くて困るだろうし、居候なら三杯目はそっと出すと言うくらいだから、御霊供だって遠慮して手が出しにくいだろうし、自分の家に帰るのが一番だと思うのよ。それで思い切って、もう1度親戚に引き取って貰う交渉をしたいと思うの。どう思う?」 と言い出した。

私は内心うんざりし重い気持ちになった。

その位牌の1柱は、叔母の嫁ぎ先の家名で、大阪に居宅がある。もう1柱は祖母(父の母)の実家である。それらの親戚に対して、今更そんな話を持ち出すのも気が引ける。

「今度は、先に手紙で子細を知らせようと思うの。承諾して貰えたら先方に伺い、それでも断られたら、先方の菩提寺に相談しようと思うのよ。」 と言う。

こういう考え方も妻が入信している新興宗教の影響だと思った。私が妻に連れられてお祈りに行った時に、司教が私に 「貴方が肺がんを患ったのは貴方の前世或いは現世が周囲の人と息を合わせてこなかったからで、お神様に心を込めて懺悔しなさい。そうすればお神様が救ってくれます。」 と言った。

割り切れない思いがした。

仏教のお経やキリスト教の祈りに懺悔の教えがあることは知ってはいる。しかし肺がんの原因が私の前世(よく分からないが)や現世の悪行にあり、それを詫びねばならないというのも少し変な気がする。

それを妻に言うと 「その通りじゃないの、貴方周りの人の気持ちなんて気遣わないわよねぇ。」

「そうだけど。」

我が家の仏壇に親戚の位牌が2柱あるのは、昔のことだから嫁入りの時に持ってきたとか、疎開の時に我が家の仏壇に祀ったとか色々考えられるが、妻の言うのも最もだと思う。ここは妻に任すほかないと妻のお手並拝見を決め込んだ。

妻はまず手紙を送った。早速両家から電話があった。大阪の叔母からは、土曜の夕方 「来週の月曜日に主人の月命日で、お坊さんが来て供養するのよ、丁度良い機会なので、その坊さんに相談するからそのお位牌を届けて、だけど物が物だけに宅急便とはいかないかもしれないね。」 と言って電話を切った。

妻は日曜日お位牌をもって大阪へ行った。妻が叔母の自宅へ伺い子細を述べると同居している長男の嫁が 「長いことお祀り頂きまして有り難うございました。」 と丁寧なお礼を頂いたと感激して帰ってきた。その後叔母から、私の家の菩提寺に頼んだら快く引き取って下さった。その際の費用は掛からなかったとの電話連絡があった。また祖母の里からも電話があり、当家にも全く同じ戒名の位牌があるという。早速訪問して位牌を見比べたところ、戒名の順序が異なっているが同じ位牌と判明、双方が頭を抱えた。結局先方の菩提寺に相談することになって辞去した。帰宅した直後に電話があり、菩提寺に相談すると、お寺で引き取り、費用の話もなかったとの連絡があった。

妻が感心して 「他家の菩提寺は何と寛容で懐が深いのかしら。」 としみじみと言った。

「幾らかは包んだんだけどお寺からどのくらい要求されるか冷や冷やしていたのよ。これからは運が向いてくるわよ。」 とほっとした顔で言った。

確かに朝お供えをして手を合わせても我が家の先祖ばかりになったと思うと肩の荷が下りた気がするのである。

それにしても、地域のお寺が地元民の交流の場となっていないから新興宗教が流行るのだ。この頃のお寺では儀式は総代だけで行い、一般檀家に対してはお盆の供養や法要の勤めだけが接点であって、檀家を集めてのお説教をする住職なんていなくなった。お寺は地域住民の悩みを聴いたり、交流の場として存在してこそ菩提寺としての使命が果たせるのではないかと思うのである。

(忠)


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