年寄りの短い未来


「よく社長が机に向かってふんぞり返っている様子を見ますよねぇ」 とかかりつけ医が言う。

「しかしあれは何も威張ってしているんじゃないんです。(そういう場合もあるかもしれませんが) あの姿勢が肺を大きく広げ、血液への酸素吸入を促進して心臓には非常によいのです。ですからその方が身体を楽にして的確な決断力を生むのです。肺がひしゃげてしまうような前屈みで仕事する姿勢が一番いけません。そう言うわけですから貴方も背筋はしっかり伸ばしてください。」 と初老の医師は諌めるような口調で言った。

63歳で小澤征爾氏や桑田佳祐氏と同じ食道癌を患い、2年もたたぬうちに今度は肺がんを患った。手術は一応成功したが、つい最近肺炎を患い在宅酸素吸入器が導入されて外出時は酸素ボンベを携行するようになった。

そうこうするうちにメタボだった身体は高齢者の白骨遺体のように萎えてしぼんだ。

肺がんの進行度は、ステージUのBで5年生存率はたったの14.8%だと言う。

そう思うと死に神を背負って生きているような思いがして、旺盛だった好奇心もしぼんで外出も億劫になり、巣ごもり生活を送ることになる。

先日も、夜中にトイレに行こうとベッドから降りて歩き出したら立ちくらみがあり、意識を失った。原因は睡眠薬と痛み止めに使われている神経系の薬の相乗効果と思われるが気がつくと階段を降りる手前でうつぶせに倒れており、顔は四谷怪談のお岩のように腫れあがっていた。朝刊で谷啓氏が階段を落ちて脳挫傷で亡くなっているのを見て呆然とした。

まだまだ若いと思っていた。

生老病死が現実になるなんて考えもしなかった。近頃やけに新聞の訃報欄が気になりだした。60歳代は少ないものの、年齢が近いと空襲の爆撃弾が次第に近くまで迫ってくるように感じる。

妻は、つい1〜2年前には有料老人ホームに入居している両親から毎日朝早くから電話で起こされ、ホームに駆けつけると、凄まじい夫婦げんかをしていたり、うんちまみれで、部屋中うんちが塗りこっぺになっているとか、尿をたれ流して歩いているとか実に凄絶な生活の話をしていたが、最近になって母親は認知症対応ホームに移転していて、自分の娘の名前も分からない状態になっているし、父親の方はほとんど寝たきりで、言葉を失っておりMRIを頼んだら脳梗塞が4カ所もできていて、その上動脈瘤まで見られ、ホームのかかりつけ医に相談すると 「平均年齢も大分過ぎていますしねぇ、これも老衰化現象でしょうねぇ」 とあっさり言ってのけ、妻は、「父は今死と対峙しているのよ」 と憤慨している。

しかしよく考えてみると私自身も、このような生活がすぐそこに来ているのに、その迫り来る病とその先にある死の実感がまるでない。

うろ覚えで不正確だとは思うが何かの小説で、一日中時計を見て過ごしている狂った老人が前を通る人ごとに 「君たちそんなに時間を無駄に過ごしていて良いのか?貴重な時間がどんどん過ぎているぞ。」 と語りかけている一小節が浮かんでくるのだが、今の自分も、物を考えずに歳月ばかりを重ねているような気分に陥る。

健康さえ戻れば、私のような残された時間の少ない老爺にも未来があって、ほんの短い未来なのだけれど、その未来に希望がもてるとしたら、例えば町内会のお世話をするとか、友人らと街づくりのNPOを設立をするとかの社会貢献活動をしたいと思ったり、もっと欲張って、世界遺産を巡るスケッチ旅行にも行こう・・・昔のようにゴルフやテニスを楽しんだり、ピアノを習ったり、郷土の歴史を学ぶ講習会に参加しよう・・・そうだ5歳の孫をNHKの半井小絵さんのような気象予報士になるよう育ててみようかなと考えたりしていると、まだまだ “これからだなぁ” と楽しくなるのだが、この逆境を乗り越えて、身体を鍛えなおし未来を取り戻すのは至難の業のように思われる。

現在養生をしながらでも、夫婦で小さい喧嘩を重ねながら、県外の5歳の孫が訪れるのを楽しみに、のんびり穏やかに過ごせているのだから幸せの日々を過ごしていると思わねばならないのだろう。しかし今後、寝たきりになるとか、痛みをこらえながら終末を迎えるだとか、認知症になるとかは何としても避けたいと思う。人生の終末は、苦しい思いをせず眠るように逝きたいと願うばかりだ。

そうだ、こうしてはいられないぞ。今のうちに延命治療の辞退と臓器提供を宣言しておこう。

但し私の臓器が他人様の使用に耐え得るかどうかの話だが。

(忠)


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