甥の結婚


「厳島神社で行う結婚式に招待されているのですか?芸能人の結婚式みたいですねぇ。凄い人気スポットでなかなか予約がとれないと言うじゃないですか。」 と酸素吸入器レンタル会社の担当者が言った。そう言われて悪い気がしなかった、お祝儀もはずんだんだし、楽しんでこようと思った。

新郎である甥(妻の兄の次男)の直ちゃんは某私立大学の語学部中国学科を卒業した後、中国や台湾の東洋医学に興味を持って、京都の鍼灸大学に再入学した。

新婦の尚子さんは医学部を目指していたが失敗、同じ鍼灸大学に入学して卒業後再び広島大学医学部に挑戦し入学を果たしたそうで、まだ学生だと言う。実家は広島で病院を経営しているのだが、鍼灸大学時代に恋愛し、甥の直ちゃんは、大学に通う尚子さんを支えるために、広島に移り住み鍼灸院を開業したと言う。新婦は未だ卒業をしていないのだが、待ちきれずに結婚に至ったのだそうだ。

「両方とも職業柄、東洋医学を学ぶ点から言えば、回り道とはいえないかもしれないけれど、長い学生生活で結婚適齢期も過ぎてしまっているのでね。まだ経済的にも自立できていないのだが、やむ得ないかと思って。」 と大阪在住の義理の兄は言った。

厳島神社と言えば1996年に世界遺産に登録されている。そこでの結婚式ってどんなのだろうと想像力をかき立てられた。

3年間の療養期間以降県外旅行は初めてだった。

体調を考え少し余裕を持って2泊3日で出かけることにしたのだが、高徳線、マリンライナー、新幹線、在来線と乗り継ぎ、安芸グランドホテルに到着した時は夕日が瀬戸内海を赤く染めていた。

海を挟んだ目の前には厳島神社の鳥居が浮かび、その奥に紅葉前のいささか黄ばんだこんもりとした宮島の森が見えた。

10月半ばの波風は心地よく、波は白くキラキラと輝き、海鳥が静かに餌をあさっていた。前夜にはクルージングがあって、ライトアップされた大鳥居とかがり火に映し出された幻想的な海に浮かぶ厳島神社を船から見たのだった。

そこで案内人から、朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、重量60t、支柱は樹齢500年〜600年のクスノキの自然木で作られており、現在8代目に当たる。根元は海底に埋められているわけではなく、先人の知恵と工夫によって地盤を強化し、鳥居の重みだけで立っていること。本殿は宗像三女神が祭られており寝殿造りで平清盛が造営し、現在は1571年に毛利元就が改築したものといった説明があった。

翌朝ホテル前の桟橋から連絡船で厳島神社に向かった。

結婚式参列者が乗船した後、白無垢に身を包まれた花嫁と、羽織袴の新郎が乗り込んできた。

「まぁ、きれい。」 参列者一同から感嘆の声が上がった。花嫁の母親が幾分誇らしげに胸を張った。白無垢の衣装は紫外線を浴びると模様が浮き出るのだそうで、実際船外に出ると鮮やかな花模様が浮き上がった。

厳島神社ではまず控え室に通され、宮司の司会で親戚同士の紹介があり挨拶の後朱塗りの回廊を宮司の案内により花婿、花嫁が先頭に行列を組んで本殿に向かった。周りは日本人・外人を問わず観光客にあふれていて、カメラのフラッシュがまるでシャワーのように降り注ぎ、至る所で祝意の拍手を受け、興味深い多くの眼を感じた。

「まるで映画に出演しているようね。」 と妻が言った。

「バカ、それは新郎新婦が思うことだろう。お前を見ている人はいない。」

本殿に入り、結婚式が厳かに行われる。神殿に向かい雅楽が演奏され、巫女が踊り、宮司により詔が奉ぜられる。末席の私の後ろには賽銭箱が置かれていて多くの参拝客が賽銭を投げ入れる。小銭のチャリンチャリンの音も耳に入る。日本で最初に結婚式が神社で行われるようになったのは、明治34年の頃のことで、東京の神社で行われたとのことである。それまでは日本にこのような慣わしはなく、国際的に日本が進出し、他国に見習い、政府が施策として進めたという。

考えてみると私達夫婦も38年前にキリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げ、三三九度の杯の代わりにワインを酌み交わした憶えがある。この神前結婚式でも指輪の交換があり、誓いがあった。この事を宮司が神にかしこみかしこみ申し上げ、三三九度の杯を交わして結婚式は終わった。

式の後、本殿を出て本社祓殿前にある黒漆塗りの舞台に朱塗りの高欄を巡らした高舞台で蘭陵王と言う祝いの舞楽が演じられた。澄み渡った秋空の下でどう猛な面をつけたカーキ色の衣装を纏った一人舞いは、昔の宮廷や公家達の遊びを彷彿とさせた。もう昼に掛かると潮は引きいつの間にか大鳥居も神社も陸の上にあり観光客はそこら当たりで写真を撮っていた。

ホテルに戻って披露宴になった。後輩達がNHK大河ドラマ 「篤姫」 のテーマ曲を弦楽五重奏で演奏をする中、新郎新婦が入場して開宴した。大きなスクリーンによる新郎新婦のラブストーリーや思い出の映像があった。学生達が仮装をして賑やかに踊り込んできたり、何度もお色直しがあった。まるでバラエティ番組を見ているようだった。「豪華よねぇ。」 と妻が言った。親たちは、長い間の学生生活を支え、結婚式をあげて経済的にも大変だったろうにと思う。これだけ幸せで恵まれた新夫婦も少ないのではないかとも思う。

今は結婚自体が難しい世の中になっている。就職の氷河期でもあるし、非正規社員も多く、経済的に厳しいために結婚できない人たちもいることを聞くが、仮に経済的に恵まれていても結婚しない若者が増えている。私の妹も、長男が 「結婚してもメリットがない。」 と言って結婚に興味を持たないと嘆いていた。我が家にも最近まで三十路をとうに過ぎた嫁(とつ)がぬ娘がいた。勤めてはいたがスネをかじられ、年金では全然足らず、退職金も底をつくのではないかと心配した。最近やっと片付いてくれてほっとしたが、今度は高齢出産になるので早くしないと孫ができないのではないかとこちらが焦っている。

周辺を見渡しても適齢期を過ぎた独身が多く、特に草食系男性が多いように思われる。こんな事が続くと核家族がまた分裂して一人家族が増えるのじゃないか、なんて考えながら食事をしていてひょっと横を見ると古女房がいた。

綾小路きみまろの “新婚当時は、心ときめいて、どきどきしていた。あれから40年。今はダンナがそばに来ると不整脈。” を思いだして笑いがこみ上げた。

(忠)


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