雑 感

丸 新


 正直に言うことは折々不謹慎に聞こえることが多いが、ご容赦願いたい。
 県内の老舗百貨店「丸新」が、創業60年余の歴史にピリオドを打つことになった。このことが報道されてからは、売上が通常の6倍、来客の足が絶えないという。実際2月18日の特別大売り出しを行ったところ、客は店内を埋め尽くし、レジは長蛇の列を作っていた。既に品物が売り切れてないのである。経営陣も従業員も、これが通常の状態だったらとさぞかし思ったことだろう。
 ところが客層を見てのけぞった。それは間違いなく高齢者の列だったのである。この中に若者を見つけようとしたが、見あたらないのである。
 「丸新」は開店以来地元の百貨店としてその地位を確保し、県民、市民のあこがれの殿堂として存在してきた。しかし58年にそごうが進出してからは、鳶に油げをさらわれて、一流はいよいよ一流に、末流はいよいよ末流になったのである。確かに店舗面積や立地条件は重役と子供のアルバイト程の差はあった。しかし後塵を拝することに対し、経営陣、従業員、そして周辺の商店街が迅速な対応を打ってきたか、百貨店として横並び戦略のみにとどまっていなかったか。従業員は七重の膝を八重に折って、心から「有り難うございます」「いらっしゃいませ」を伝えたか。もちろんこれを言えば、対策を打ってきたと言うだろう。平成6年6月には商品構成を見直した庶民路線への方向転換した改装を行ってきたのも、あるいは外商に力を注いできたのも事実である。しかしこれらは労多くして効少ない結果となった。
 消費者に浪費をさせるのに「もっと使わせろ」「もっと無駄遣いさせろ」「季節を忘れさせろ」「贈り物をさせろ」「流行遅れをさせろ」というのがある。これは客を冒?するものとしてさすがにひんしゅくを買ったが、商売にはすべてこの程度のひんしゅくは非難するにあたらない。これを非難するのは浅はかというもので世間を知らないものである。
 「このまま赤字を続けて倒産するより、余力のあるうちに出来る限り整理をするために思い切った。」と西内理社長が言っている。債権者も、従業員も、丸新を懐かしむ人達も倒産前の処置は共感を得たろう。だから丸新に郷愁を覚える人々がひきも切らずに入店しているのだろう。なに手持ちの商品券と友の会のチケットを品物に換えているのだと言う向きもあるが、筆者は丸新を非難しているのではない。サカエヤ、つぼみや、丸新との地場の店舗が消えていくのをじたんだ踏んでいるのである。残念なのである。

(忠)