雑 感

ボンジョルノ・イタリア(前編)


 11月4日から8日間の日程でイタリアへ旅行した。きっかけは家内が勤続30年で表彰され1週間のリフレッシュ休暇を頂いたので、同行することになったのである。旅行社のタイトルは「想い出のイタリア」ロマンチックである。このタイトルに惹かれたのか西日本の各地から来た新婚12組と旧婚である私共夫婦の13組の旅行団であった。ツアーコンダクター(添乗員)が「負けずに頑張って下さいね」といったが、何をどう頑張るのかよく分からなかった。
 飛行機の座席はクオリティ席を申し込んだが、あこがれのビジネス席に案内された。食事は前菜から始まるコースであり、日本食も選択できる、カップヌードルも注文できるのがうれしい。そしてこの優越感!座席も12時間に耐え得るものであった。しかし、乗客はほとんど日本人であるのに、映画は日本語訳がなく、洋画と中国映画が上映されている。文句の一つも言いたかったが思いとどまった。スイスのチュウリッヒに降り、乗り継いで夜半にミラノに到着、一泊した。
 翌日はミラノ観光である、エマヌエレ2世ガレリア前でバス下車、アーケードの目抜き通りを抜けてドウモ広場へ、まず大きな彫刻像に圧倒され、高いアーケードの商店街には、有名ブランド店がずらりと並ぶ、溢れんばかりの人の波である、通路が交差する円蓋の下で人だかりがある、分け入ってみると床に牛の絵が描かれ、その男性シンボルのところが白く欠けている、そこへ次々にかかとを軸にくるりと一回りしている。こうすると男性は精力絶倫に、女性は幸せになると言う。このような話題づくりに感心させられる。ところがである、飲食店を除いて大半のブティックが店を閉めている。日曜であり休暇のための閉店だと言う。これだけの観光客に失礼だと思うが習慣だそうだ、そういえば午後1時から4時までが昼休みで店を閉じる、何も従業員全員が昼休みを取ることなく、交替で休めば売上も上がると思うのだが。イタリアではお客様は神様ではないのである。
 世界で3番目の規模であるドウォモ(大聖堂)に入る。その荘厳さ厳粛さに言葉を失い、壁画やステンドグラスに目を見張り、彫刻に歴史の重みを感じる。
 ミラノはイタリア経済の中心地であり近代都市だと言われたが、町並みは美しいもののその実態は読みとれなかった。ツアー旅行は、旅行団で日本人社会を形成し、そのまま移動することになり観光を除く地元文化との触れ合いが少ない、反面感動や喜びを仲間達と共有できるのはうれしい。
 ミラノのレストランで昼食を取った。同行の旅行者ともうち解けてきた。新婚12組である、若くて華やいでいる、皆幸せそうである。食事をするたびに料理にカメラを向けている女性がいる。理由を聞くと食べた想い出を残すのと、今後の料理の参考だという、実に見上げた心がけであり、おもしろい発想だと思った。男性は総じてハンサムで感じが良く我々中年にも、気さくに話しかけてくれる。しかし大半がひ弱で骨細に感じる。国際化の今、日本を担っていけるのか少し心配になる。 妻がたばこを吸って夫がたばこを吸わないカップルが3組ほどいる。我が家は反対で妻のいじめにあっている。職場結婚も多く、なれそめを恥じらいなく話す。総体的に女性がじゃれている。銀行員だという男性がイタリアはいい加減な国だという、外貨部によくイタリア紙幣が偽札ではないかとの問い合わせあると言う。リラ札の大きさを比べると縦横のサイズが違うので偽札騒ぎになるのだそうだ、実際に調べてみると縦横最大1ミリの差があった。100リラが日本円に換算すると5円である。枕銭は1000リラで50円である。インフレの国だと思った。
 午前のミラノ観光を終え、バスにてベネチアまでの270キロを3時間を要して ベネチアへ向かう。車中、 ベネチアは1000年前に北方民族の侵入を逃れ、ラグーン(潟)に造った都市であり、150の網の目の運河に400以上の太鼓橋がかかっている。交通手段は舟と徒歩であり、救急車、消防、警察も全て舟であると添乗員から説明を受ける。
 ホテルの裏に横付けされフロントを通り玄関を出ると小路にブランド店やレストランが建ち並ぶ、胸躍る思いがした。
 夕食は宿泊のホテルで取った。ベネチア名物シーフードである。4人席でこれも銀行員だという若夫婦と同席した。亭主も酒豪だが、若妻はもっと酒豪であった。杯を重ねるに従い盛り上がった。三重県の地元支店で恋愛したが、婚約したとたん亭主の方は名古屋の小支店に左遷されたという。「銀行での社内結婚はタブーなんですよ、愛はそれを乗り越えた」と臆することもなく語った。白ワインの大瓶が空き、赤ワインの大瓶を若妻が注文した。間でビールも飲んだ。精算になった12万500リラという。私どもが年上なのだから、これは私どもが支払うと申し出たが、とんでもないと譲らない、私どもの方が沢山飲んだので7万リラは私の方で支払うという。揉めたがそういうことになった。私の家内がリラの持ち合わせがない、貴方出してと言うので6万リラ財布から出した。向こうの亭主も現地リラは持ち合わせていない様子で、若妻に払えと言っていたが若妻は”きょとん”としていた。家内が精算したが500リラコインが無いという。若亭主の指示で若妻が小銭入れから500円コインを差し出した。こちらも礼を述べてその場を辞した。
 翌朝、家内が「貴方財布を調べてよ」と言う。財布を調べると確かに12万リラ減っている。「貴方向こうのご主人から7万リラ貰った?」「貰ってない」と私「どうもおかしいと思っていたのよ、貴方最初に6万リラ私に渡した後、また私に6万リラ渡したのよ、向こうのご主人からから受け取ったと思うじゃない、結局私達がおごったのよ」と家内「日本円にして6000円じゃないの安いもんだ、それぐらいおごったっていいじゃないか」と私「何言ってんのよ、安いわよ、でもねぇ、おごると宣言しておごるのと、結果的におごったのは大違いよ、向こうの夫婦は自分たちも負担額以上に支払ったと思っているのよ」家内の顔が硬直してきた「向こうが払ったのは500リラ、たった25円よ、それで有り難うね、悪いねぇなんて何故言うのよ」「貴方が酩酊するからこうなるのよ、バカ」と怒鳴った。バカとは何だ、バカとは、これはいじめの旅だと思う。以降若夫婦はこのことに気がついた様子はなかった。
 朝は小雨で渋ってはいたが、それさえもよけいに魅惑を際だたせた。彩り豊かな建物のブテックを横目に石畳の小路を歩くと、ゴンドラの船着き場がある、小橋を渡りしばらく歩くとふっと壮大な広場がひらける、これがサンマルコ広場である。ナポレオンが世界でもっとも美しい大広間だと絶賛したこの長方形の広場には、テーブルを並べたカフェテラスや土産品店が軒を並べる、正面にビザンティン風の白亜のドームが輝くサンマルコ寺院、その傍らに鐘楼がそびえ、左側には彫像をいただいた時計台、右手にドォカレ宮殿がある。寺院のなかに足を踏み入れて、その豪華さに目を奪われた。大円蓋を取り囲むドームの壁面は、聖書の物語を描いた黄金のモザイク画で埋められている。圧巻は黄金の聖壇装飾、大理石に金箔を張り、宝石をはめ込んだもので、無限の想像をかき立てる。1000年に及ぶ時間の分厚い蓄積を実感させられた。
 この後ゴンドラに乗り運河をゴンドリエーレの甘い歌声を聞きながらの遊覧予定であったが強風と雨のため中止になった。午後は自由行動であり、再びサンマルコ広場へ戻ったところけたたましいサイレンが鳴った。同時に激しい雨と風が猛烈に吹き。観光客の傘がパラシュート付きの花火のように空中高く舞い上がった。多くの人の折りたたみ傘は裏返り骨ばかりとなり、じわじわと水が地面を浸し始めたかと思うと瞬く間に広場は水浸しとなり、靴での歩行は困難になってきた。直ちに鉄パイプで50センチぐらいの高さの板張りの歩道が中心部から順次組み建てられ始めたが、街中という訳には行かない。それでも昼間は水たまりを避け、歩道を通り土産物屋をあさった。夕食は添乗員を誘ったが、既に4組の旅行者に案内を頼まれていて、午後7時予約をしたという。この間も道路の水位は増している。午後8時が満潮である。歩道は切れ切れにしか造られていない。添乗員にホテルでの食事を提案したが、既に満員で予約のレストランに行くより外は無いという。時間を少し早め出かけることにした。靴と靴下は、ビニール袋に入れズボンの裾を膝頭までたくし上げ、裸足でざあざあと水を切って歩く、冷たい、足が凍る思いがした。やっとの思いでレストランに着き料理を待った。食前酒を飲み前菜からメイン料理まで時間を要した。その間も水かさが増し、玄関際の部屋から浸水してきた。にわかに玄関側の部屋は停電し、ろうそくが灯された。それでも現地の人は長靴で平然と食事をしている。
 我々のところも浸水してきた。足首を越え膝まで達しようとしていた。それでも何事もないように料理は運ばれてくる、ヘドロの臭いもしてきた。”まるでタイタニック号”だと思った。レストランの装飾も映画の一場面とにている。日本なら近くの小学校に避難するところだ。もう帰ろうと提案したが添乗員は受け付けない。かくして、満潮時に帰宅する羽目となった。ズボンを膝上までたくし上げ家内を背負っての帰宅となった。ホテルのフロントは水浸しとなっていた。
 かくして、その日は暮れ、旅行日4日目を迎えた。

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