雑 感

ボンジョルノ・イタリア(後編)


ボンジョルノ・イタリア(前編)』のあらまし

 筆者は、11月4日から日本を離れイタリアを旅行した。ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマの各都市と、バチカン市国を巡る8日間の周遊の旅だ。久しぶりの家内との二人旅、そして、同じツアーの参加者である12組の新婚夫婦の横顔を見ながら過ごしたこの異国での旅路について回想する。ミラノ、ベネチアでの旅を終え、足はフィレンツェ、ローマ、バチカンへと向かう…

 ベネチアからバスにてフィレンツェに向かった。車中添乗員よりイタリアの内情を聞く。イタリアは日本と同じく失業率が高く、出生率も世界で一番低いとのこと、その理由は治安が悪く小学校の送り迎えを親に義務づけているので、共稼ぎの夫婦には負担が重く自然と少子化になると言う、このため高齢化は日本より進み移民が検討されている。そういえば子供の姿が見えない。一方失業率も高く若い層に深刻だという。この点日本と似ていると言うが、それは違うのではないかと思う。確かに第2次大戦はドイツと3国同盟で戦ったが、勤勉の点では大きく差があるように思う。例えば観光地に行くと必ず通訳と現地ガイドがつく、通訳は日本から結婚等で移住した人が多く、もう一人は現地ガイドである。現地ガイドは免許を持っているだけで何もしない。観光地の入場券を買うだけである。これで賃金がもらえるならこんな楽なことはない。失業を少しでも低める政策だと言う。そういえば沢山の警察も2人一組でぶらぶらしているように見える。のんきな国だと思う。
 フィレンツェにつき丘陵のポポロ庭園から街を一望した。街を横切るアルノ川、密集した茜色の屋根群に、ひときわ目を引く大きな円屋根はドウォモ、小さな丸屋根はメディチ家礼拝堂、ジョットの鐘楼もそびえ立っている。周囲はぶどう畑やオリーブの森が包む。この展望に目を奪われているとき家内が「トイレへ行きたいが我慢しようか」と言った、丁度その時同行の女性がトイレに行きたいと添乗員に訴えた。トイレを探して500メートルも歩いたがそこは閉じていたと言う、15分の展望時間でさらに300メートルを走り、やっと探し当て入ると1500リラを請求されたそうだ。イタリアには公衆便所がない、添乗員からイタリアのトイレ事情は悪いので昼食時には済ましておいて下さいねと言われていた。しかし昼食時はビールも飲んでいる。添乗員から「気をつけて下さいね」と注意され「どう気を付けるのよ」と憤慨していた。 こんな観光地でトイレが無くてどうするのだと思った。街の中にもトイレはない、トイレに行くにはバール(喫茶店)に行くよりない。そこでもチップは取られる。
 そういえば旅行中トイレには泣かされた。ミラノのホテルでは家内が水を流すノブがないと騒いだ。私が行ってトイレ内をよく見回すと正面に大きな壁掛けのようなものがあってそれを押すと流れる仕組みになっていた。バスでの移動中レストランで、混み合うので早めに済ませと言うので入るなりトイレに行った。私一人であった。水を流そうと思ってもノブがない、周りを見回せど何もない、そのままにして出たが今度は手洗いで蛇口の上のひねり栓がない。いくら探してもない、しょうがないので洗わずにそのまま出て食事を始めたが、隣の女性が席を立ったので、聞いてみると足下に黒いボタンがあって、これを踏むと流れる仕組みだという、あわてて手洗いに行った。
 フィレンツェではサンタマリア大聖堂から歩行者天国のカルツァエオ通りを通ってショーリア広場へ出、現在市庁舎であるベッキオ宮殿を見て、貴金属・宝石の露天がずらりと並ぶベッキオ橋まで歩いた。なんと美しい街だろうと思う。映画に出演しているようなムードにさせる。街をぶらついた後、ウフィツィ美術館に入る。フィレンツェが輩出した、ミケランジェロ、ダ・ビンチの絵がある。ラファエロ、ティツアーノがある。ビィーナスの誕生など有名な絵は大塚国際美術館で見ているが、これは本物である、絵の具の光沢があり、筆の跡がある。これはイタリアの才能だと思った。
 夕食は、日本の天皇陛下がお泊まりになるという名門ホテル”ビッラ・コーラ”でとった。添乗員から男性はジャケット、女性もオシャレするように言われてはいたが、新婚組は見事に変身していた。男性はほとんどがスーツであり、女性はドレスアップをしていた。普段はフリースのコートにジーパンといったラフな格好の若者達が、ジェントルマン・ミセスになっていた。部屋には豪華なシャンデリアとアンテークな家具調度品で飾られ、おびただしい数のワイングラスとフォーク・ナイフが並べられていた。それらに全員マッチしていた。日本もグローバル化しているなと感じ若者達を頼もしく思った。
 翌日はピサの斜塔を観光し、バスにてローマへ向かい、ローマではスペイン広場の近くのホテルで宿泊した。ローマは、街中が博物館である。紀元前の建物から近代の建物まで2000年以上の歴史が街に溢れている。歴史の宝庫であるローマの悩みは駐車場ではないかと思う。街には駐車場が無く、路上駐車である。至る所に遺跡があって地下駐車場は建設できないそうだ。道路の側面には隙間無く車が止められている。駐車するには、前の車と後ろの車に当てて、隙間をつくり、そこへ車を滑りこますのだそうだ。このためか車の前後がひっこんだ車が多い。道路は狭く、乗用車はほとんどが軽自動車か、小型車である。日本の日産マーチやトヨタのビッツが散見される。舗装は1000年前の石畳がそのまま使われており、本物であるがすり減って丸くなっている。その日は雨でバイクの事故が車窓から見えた。ローマ人の運転にも驚いた、走っていても車間距離がない、その間に強引に割り込むのだから追突は茶飯事で交通事故としては取り扱わないそうだ。それを聞いたとたん渋滞の町中で4台の車が玉突き衝突をしていた。
 ローマでは、バスで世界最小の独立国バチカン市国のザ・ピエトロ大寺院に行った、その世界一規模の壮大さに圧倒された後、円形競技場コロッセオや隣接するコンスタンチヌス帝の凱旋門を観光し、そこから徒歩で古都ローマを見学しながらトレビの泉に向かう。途中数々の宮殿や遺跡の前でそれぞれがポーズをとり写真を撮りながら歩く。通訳が隊列を崩してはいけない、何時ジプシーに狙われるか分からないと注意するが、若者達は楽しげにはしゃぎ受け容れない。トレビの泉に着くとそれぞれコインを後ろ向きに投げ入れる”もう一度ローマに来られますように”と祈って。トレビの泉にかかわらず街中に彫像で装飾された噴水があり、その周りに雑踏がある。日本人も多いが世界中の観光客が此処ローマに訪れる。世界の遺産の6割がイタリアにあるとのことで、もっともだと思う。昼食は日本料理に舌鼓をうち、スペイン広場に向かう。
 スぺイン広場の中央にあるトリニタ・ディ・モンティ教会へ通じる137段の階段は天に伸びる鍵盤のように見える。オードリヘップバーンのローマの休日のシーンがよぎる。その正面に最高級のショッピング通りがあり、プラダ・グッチ・バレンティノ・フェラガモ・ベルサーチなどが軒を並べる。同行の旅行者ともたびたび出くわす、帰国は明日に迫っている。ものすごい購買力である。高価なブランド品を次々買っている。帰って聞いた話だがプラダの売上の7割が日本人だという。満員の店は日本人で溢れている。入場制限をしているブランド店もあり、並んで待っているのも、やはり日本人である。この金を日本に落とせば、日本の景気も上向くと思う。
 旅行日の最終日である、家内が切り出した「こういう旅行ではお世話になった添乗員さんにはお礼をするものなのよ、私、皆から1000円づつでも徴収するわ」私は「そんな余計なことしなくていいんじゃないの、我々だけがお礼をすればいいじゃないか」と言うと家内は「今の若い人にはそんな気遣いができないから、我々夫婦が教えなきゃなんないのよ」と言う「言って皆が出さなかったらどうするんだよ、それに添乗員が受け取らなかったらどうするのかよ」と私「これは常識なのよ、1000円なら皆出すだろうし切りの悪い金額は私らが出せばいいのよ、添乗員は受け取るものなのよ」と言う。かくして家内は若い夫婦一組一組からお金を巻き上げ、最後の晩餐で渡すことになった。乾杯の後家内がお礼を述べて贈呈した。拍手がおこった。添乗員は満面に笑みを浮かべて礼を述べたが、結婚して初めて家内を”かっこいいな”と思った。
 翌朝帰途につくためレオナルド・ダ・ビンチ空港に向かう。去りがたい寂しさが襲う。旅情が募る。夢のような8日間が立ち去った。車窓から今にも崩れそうな古代の遺跡や無秩序そのものの人と車、石造りの建物が流れていく。明日は非日常から現実に戻る。アッリヴェルデルチ(さようなら)イタリア、同行の新婚さんお幸せに。

(忠)