雑 感

人 生 に つ い て


 寒風が吹きすさび突き刺すような冷たさが伝わって、手袋の中の手が、かじかんでいた。
 2月末の夜空は暗く、星は鈍い光を放っていた。時間は10時を回っていた。
 先程まで居酒屋でいて、退職するという若い同僚との話を、自転車を駆らせながら思い出していた。
 「この不景気な時代に何を言っている、仕事が不満なのか、それとも上司と、うまくいかないのか、今はな、倒産や海外移転で働く職場が消えている時代だぞ、何を考えているんだ。」と気色ばんだが、本人は意外と冷静で「いや、そんな事じゃないんです。今の仕事はやりがいがあると思っているんです。」と小さく笑って言った。酒を勧めたが飲まず、ウーロン茶で焼き魚をつつきながら「もともと国家公務員の試験に落ちて今の職場に入ったんですけど、それが諦めきれず毎年受けていたんです。今年、国家公務員の一次試験に合格したんですが、二次試験で落ちちゃいました。でもこれならいけるんじゃないかと少し自信が出てきたんです。今年で勤務して四年目になりますが、失業率が高くなって、国家公務員の受験資格の年齢制限が撤廃されたんです。それでアルバイトでもしながら、公務員試験対策ゼミナールへ通って本格的に勉強したいんです。」と言った。「志があって辞表を出すなら止めない、こういうのは若者の特権だからな、しかし本当にそれで良いんだな、両親ともよく相談しろよ」といって別れた。
 止めてやらないでどうするんだ、と後悔もする。相談したいというのは、心のどこかで引き止めて欲しいという気持ちがあったのではないかと。そういえば自分もそんな時期があったなぁと思う。しかし思い切れなかった。彼は26才、美しい年齢だと思った。
 思えば彼は、いらいらさせることもあったけれど、発想がフレッシュで優秀な人材でもあった。そんなことを考えながら工事中の福島橋のたもとで信号待ちをしていると、大きな声が聞こえてきた。
 「ご苦労だねぇ、今日は朝までの勤務だよねえ、」と今あがったばかりの、年輩の警備員が、制服に身を固めた警備員に話しかけている。「いや、お疲れでございました。」と夜目ではあるが、実直そうな中年の警備員が敬礼しながら挨拶を返している。「これ使い古しで悪いが使ってくれないか」と紙袋を渡している。
 それが使い捨て懐炉であることに違いないと思ったのは、耳が切れる程の、余りの寒さのせいかもしれない。あの警備員は、使い捨て懐炉を体中に張り付けて、夜通し誘導灯を振るのだろう。人間どうしてあんなに頑張れるのだろうと思う。
 この人は、リストラの被害者なのかもしれない。我々はこういった人の支えで生活しているのだ。
 それと比して、自分は温く温くと生きている、今後も温く温くと生きたいと思っている。それが何も悪いことでは無いのだが、例えばもし明日「お前は、今日から解雇」だと言われれば、たちまち困窮し、途方に暮れるだろう。元々生活力が無くて今の職場にすがっている。今までに、人生の岐路だと思った機会は何度かあった。しかし、チャンスに果敢に挑戦することもなく、なるべく面倒な事は避けてきた。
 現在働きたいと思っている20人に1人が失業している時代である。好況時には2万人足らずだった自殺者の数が、不況の今は、リストラが原因で3万人にも及ぶと言う。窮地に陥ったとき、苦労を避け、楽な逃避の道を選んできた人達が、免疫性がなく、こういった道を選ぶのかもしれないと思ったりするのである。
 そんなことを考ながら自転車を漕いでいると自宅の門へ到着した。今日は少し酔ってはいるが、1合ぐらいは熱燗つけてぐっすり眠ろうと思った。

(忠)