雑 感

や っ ち ゃ ん


 やっちゃんは気立ての良い娘だ。この夏嫁に行くために、7年勤めた職場を退職していく。
 電気工事を営む長男と結婚するのだそうで、「嫁ぎ先は、お爺ちゃんお婆ちゃんと両親、フィアンセの弟2人がいて賑やかな家庭だと」楽しそうに笑って言った。
サラリーマン家庭に生まれたやっちゃんは、就職してまもなく不慮の事故で両親2人共を亡くしてしまった。急追駆けつけた同僚には、涙を見せなかった。動転する心を必死に押さえて耐えていた。
 やっちゃんは、大学卒業後就職試験で、並み居る男性諸君を遙かに超えて、群を抜く成績で入ってきた。
 入職当時、やっちゃんの甘えた語り口と時折見せる頑固な主張に私は、少し手を焼いたこともあったのだけれど、正確で理にかなった仕事ぶりは、部下として申し分がなかった。
私の娘と同年代であることから、私は、意識してやっちゃんの瞬間的な表情の変化や物腰の変化を注視してきた。
 眉間に皺を寄せるとき、落ち込んでいるとき、底抜けに明るいとき、そこに多様な表情があった。しかしどの表情も美しいと思った。
 バリ島へ慰安旅行に行ったとき、危ないから隊列を乱すなと言っておいたのに同僚の女性と姿を眩まし、現地人の美男子と満点の星を眺めていたと言うし、ベトナムでは、民族衣装を誂えて、私たちの前でファッションショウをして見せた。
 阿波踊りの期間中街頭でジュースを売るバイトをしたり、ブライダルのモデルにもなったりして、自由奔放な面があった。側に寄って行って「バカ、これは規則違反だぞ」と叱ってやろうかとも思ったけれど、そっと側をすり抜けた。
 酔って正体をなくした私をタクシーに押し込んでくれたり、自転車で自宅まで送ってくれたりした。「いい娘ねぇ」と家内が言った。「普通若い娘が頭のハゲた中高年の酔っぱらいなんかを送ったりしないもんよ。」と続けた。そりゃそうだと思う。内のろくでなしの娘なんぞ、父親の私と食事することも、一緒に歩くことさえ嫌がる。そう言えば、一緒に出張したとき、これはおじいちゃんのお土産だといって、毛糸のマフラーと帽子を買っていた。
事務所の経費を節減するのだと言って、コピー用紙の裏を使う仕組みを作ったり、事務用消耗品の購入を安価で迅速な配達を行う通信販売会社に切り替えたりもやってのけた。
 やっちゃんには、世の理不尽と立ち向かうといったような、気迫のようなものが常にあった。
寿退職なのだから、おめでたいことなんだけど、退職して電気工事業を手伝うと言った時、周囲は皆こぞって慰留に勤めた。業務の一角で、かけがえのない人になっていたこともあったけれど、やっちゃんがそういった環境になじめるのかといった心配があったのだと思う。しかしやっちゃんは頑として受け付けなかった。やたら携帯電話が多くなって、少し変わった。
 相手の男性は、私も知っていて、以前センタービルの営繕管理をしていたことがあって、顔をあわすたびに礼儀正しく挨拶をしてくれた。「良い青年だなあ」とやっちゃんに言ったのがつき合いのきっかけだと言うのだから、やっちゃんの方からアプローチをしたのだろう。
 嬉しそうなやっちゃんを見ていると、なんかこう、嫉妬心みたいなものが沸いてくるのは、娘を嫁にやる父親の感覚なのかもしれない。
 私が辞表を手にした時「本当にそれで良いのか、幸せなのか」と問いたい気持もあったのだけれど、無関心を装ってしまった。
 気丈で、しっかり者のやっちゃんは、祖父母、舅、姑、小舅と同居して、食事を作り、農業を手伝い、事業の経理をして、次第に大家族に順応していくのだろう。やがて子供ができて、もうその時は八面六臂の活躍で、家庭でもかけがえのない奥さんとなっていくのだろうと思うのである。末永くお幸せにやっちゃん。

(忠)