雑 感

初 孫 に つ い て


 玉のような赤ちゃんが生まれた。むろん私の子ではない、初孫なのである。
 娘が女児を産んでめでたくジイジとなった。三日三晩陣痛があって、市民病院に入院したのだけれど、二日目には病院から自宅待機の命令があって、三日目に病院へかつぎ込んで、私が出勤したとたん産まれたという。家内から職場へ電話があり「そうか、生まれたのか」と大声を出してしまったら、職場の皆から喝采を浴びた。その時は少しウルウルとした。2370sの小さな子で安産だったとはいうが、陣痛が長かったので難産だったのかもしれない。最初に病院へ運んだときはすぐ産まれるのかと思った。看護婦さんが「個室か、大部屋か」を問い、「個室」と応えると「市内の在住でないので、一日4千円の特別料金がかかります」と言ったそうで、家内が「あのう、実家は徳島市内なんですけど、と言ったけれどあかんかったわ」と笑って言った。
 とにかく産まれた。8月12日阿波踊り開幕の日であり、オリンピック前日である。「ああぁ、女かぁ」と言うと、娘の亭主が「すみません」と申し訳なさそうに言った。謝って貰っても詮無きことだが、私の子供は娘二人なので、私は実のところ男が欲しかった。公園で孫とキャッチボールをし、長じては酒を酌み交わして人生をたれる。といったことを夢見てたのだが、当面期待できなくなった。こう言うと、口さのない同僚は、「何バカ言ってんの、歳を考えろ、孫がキャッチボールできる歳には、お前は寝たきり老人だぁ」と抜かす。しかし手も足もあるし、軽かった割には元気で手足をばたばたさせてるし、保育器にも入っていなかった。並み居る新生児の中でも、私の孫だけが輝いて見える。新生児の中に阿波踊りのハッピを着せハチマキを巻いている子がいる。やがてハチマキがずれて、口・鼻を危うく塞ぎそうになって、看護婦さんが慌てて外していた。この子の親も、阿波踊りの上手な子を夢見たのだろう。数日後公開されている新生児室に移された時、縁もゆかりもない人達が、私の孫を観て「この子カワイイ」「色の白い子ねぇ」「顔が整ってるわねぇ」なんてことを口々に言っているのを聞くと、うれしさが込み上げて、まぁ女でも良いかぁと思うのである。
 十日ほどして、母子共に家に帰ってきた。家中に赤ん坊の泣き声が響き渡るようになった。抱いていると赤ちゃんの表情といい、仕草といい、千変万化で、一瞬たりとも休まない。あくびをしたり笑ったり、誠にキュートである。家内が「鼻が上向いて、膝を組んでるけど、美人よねぇこの子」と言う。しかし赤ちゃんの顔と成長した顔は、違うのだ。今はもうミルクを飲まし、おむつを替え、沐浴させるのが日常になった。
 最初に孫を沐浴させるとき、私が総指揮を執るつもりだった。家内と長女と次女及びその亭主と私が取りかかった。私が指示を出すが誰も聞いていない。めいめいが勝手に動いている。私だけが浮いていた。名前だって娘が勝手に決めた”美吹”という。私は将来夢のある名前を考えようと楽しみにしていた。「この名前何の意味があるのだ、あの金メダルの野口ミズキだって、”ミズキ”という名はハナミズキからきており、花言葉で「返礼」といった意味があり、将来感謝のできる人間になるようにと名付けたと言うではないか。私の名前だって由来がある。もう少し考えろ」といっても聞く耳を持たない様子で、爺の権威も地に落ちた。
 もう一ヶ月になろうとしている。沐浴するとき、ウンチをするとき、白い身体が真っ赤になる。「赤くなるから赤ちゃんて言うのね」と家内が言う。そういった赤ちゃんの様々な所作が微笑ましいし、膝に乗せていると伝わるぬくもりに温かい幸せを感じる。フィーバーも過ぎて、少し落ち着いてきた。娘も帰り立ちは、「ジィジはたばこ臭いから、側に寄らないようにしようね」と言っていたのが、「ジィジが来た、抱いて貰おうねぇ」と言って私に抱かすのは、どういう変化だ。しかし大事に育てすぎではないかとも思う。私も二人の子供を目に入れても痛くないほど、愛おしみ、慈しんで育てた。そして期待を持った。長女は、天才かと思ったが、鈍才になった。次女は、身体が柔らかく、反り返ると首と膝が交わって海老のように丸くなった。それで新体操をやらせたが、何の実績も上げられず二人とも大人になって、不良品になった。そう言えば、私も3歳の時から家庭に卓球台があって、父母から特訓を受けたが、福原 愛にはならなかった。DNAなのだろう。夢を持つと落胆が大きい。元気ですくすくと、優しくて、思いやりのある子に育って欲しいと心から願うのである。しかしそれもDNAからして無理かなぁ。

(忠