雑 感

同 僚 達


 しばしうっとりと見惚れてしまった。同僚が成人式に出席したお嬢さんを連れて立ち寄るので、会ってみないかと編集女史に誘われた。「常盤貴子のようなきれいなお嬢さんよ。」と言う。「そりゃそうだろう、母親が若いときは、女神のように美しかった、華やかで気品があって。さすがに最近は、品落ちはしてるけどな。」「そんなことないですよ、今もきれいよ。」と編集女史は尖って言った。

 しばらく外で待っていると、振り袖を着た娘と母親が新車を駆って颯爽と現れた。こういう場合、何を喋ったらいいのか、どういう所作を取ったらいいのか、よく分からなくてドギマギし、へらへらと「おめでとう」を繰り返すばかりだった。 

「写真を撮りませんか。」とカメラを出されて笑みに崩れた。頭の禿げた老人が女性に囲まれている姿が現像されるのをイメージして居心地が悪く照れた。照れたがデレデレとポーズを取った。

職場へは毎日自転車で、この同僚の家の横を通って通勤している。彼女の自宅は3階建ての瀟洒な建物で、ピンクの壁と青みがかったグレーの屋根が鮮やかでデコレーションケーキのような家なのだ。「それってストーカー行為じゃないの」と抜かす奴がいる「バカ言っちゃいけない、私の自宅から、職場まで最短距離で最も合理的な道順なんだ」と一蹴しているが、そうとも言えないところもある。月に一二度だが朝の通勤時間がたまたまハチあって自転車を並べて駆しるのだ。しかし最近私の体力が落ちて前を走ると追いつけなくなった。 すっと横から出てきて前に出ると、10メートル20メートルとぐんぐん離されて姿が小さくなって消える。向こうは10歳も若いのだ。

 彼女は今や総務の要を務め、会員組合からの評判も良く、周りにもよく気遣ってくれている。

 もう一人輝ける女性が編集女史で、女傑である。情報誌の企画編集が担当だが、外国人研修・実習生受入れ組合の担当もしていて、忙しく立ち働いている。 子供が3人いて、雨の日子供を保育所に預けるのに、自転車に3人乗せてそれぞれに傘を持たして走ったというから恐れ入る。同僚職員が仕事に失敗したとき、その若い職員に一万円を渡し、「これで飲みにでも行って、気を晴らしてきなさい。」と言ったというのだから太っ腹だ。

この雑感もこの編集女史の勧めで始まった。当初風刺の効いた時評みたいな物を書こうとしていた。2回ほど書くとたちまちネタ切れとなった。苦吟しているとき、彼女が、「身の回りのことを書いてみたらどうですか。」と言う。しかしこのような機関誌に自分の日常を書くなんて、不謹慎だし、第一上司の決裁が降りないのではないかと心配だった。それでなくても、それまでに風刺が効きすぎて決裁が通らず没になった原稿もあった。

 挿し絵や似顔絵も彼女の勧めからだった。面白半分に描いていた似顔絵を見て、これを載せるから職員全員のを描けと無体なことを言う。こうなるとなかなか描けない。頭のイメージと手が合わず苦しんだ。

 最近職場は、女性が増えて女性専用のロッカーが足りないほどになった。そして活躍するようになった。これを男女共同参画社会というのだろう。

 他の同僚とは、私生活で仲間だった。だいぶ昔の話になるが、退社後パチンコしてから飲みに行くのが日常となっていた。何時もは徒党を組んで、安いスナックを探しては飲みに行った。野球部もあって、そろいのユニホームに”バロンズ”(男爵達)のチーム名をつけて軟式野球とソフトボ−ルをやり県庁や会議所等と転戦した。私は一時4番バッターでショートというポジションを務めたこともあって、当時ふさふさとあった髪の毛が帽子のひさしから覗いており、「巨人の星」星飛雄馬と対決した猛虎の天才バッター花形満とあだ名されたが、後年補欠に回された。ある時軟式野球でピッチャーがめった打ちになり「俺に任せろ」と強引にマウンドに上がったが、キャッチャーまでボールが届かず、試し球だけでマウンドを降り非難ごうごうになったことがあった。

試合は負けてばかりいた。剛球ピッチャーはいたがコントロールが悪かった。たちまち四球で塁が埋め尽くされ、反撃のしようもないほど点を入れられていた。やがて職員も年を重ねて、それぞれの生活も複雑になって、段々と退社後に一緒に遊ぶことが少なくなっていった。何時しか野球部も解散していた。

定年退職の日が近づいた。同僚達には良くして貰った。 良くして貰ったのに皆のために何のお返しもできなかった。心苦しく思っている。

  この雑感も最後となった。このような日記のような原稿を上梓し続けるのは相当勇気がいった。これも編集女史の叱咤激励のお陰と感謝している。

中央会情報の読者の多くから励ましや批評を頂いた。感謝の言葉もない。

永年、駄文につき合っていただいた方々に深くお礼を申し上げます。

(忠)