気まぐれな上司がいて、突然金魚が水草に産み付けたタマゴを持ってきて、職員全員に持ち帰れと言う。

職員といってもたった6人なのだが、全員金魚の飼育経験がないばかりか、持ち帰る手段もなかった。

何という理不尽なことを強いるのかと思ったが、全員工夫をして持ち帰った。

ある者はバケツに入れて汽車に乗った。

またある者はペットボトルに入れて自転車で帰った。

私は普段は自転車なのだが、この日は、駅前の親戚まで歩いて、いったん預け、翌日車で持ち帰った。

十分慎重に運転したつもりだったが、振動でプラスチックの箱の水は溢れて、トランクの中は水浸しとなっていた。

私は、庭にもう何年も転がっていた水瓶で育てることにした。

2〜3日で孵化し、小さな生命は元気に水瓶の中を泳いでいた。

職員が持ち帰った残りのタマゴは、プラスチックの箱で職場で飼われた。沢山生まれたが容器の容量に合わすようにサバイバルゲームに打ち勝った6匹が元気に泳いでいた。

職員全員、金魚に興味があるとは思えなかった。私も水瓶(カメ)に入れたのは、理由があった。金魚は湧いたボーフラを食べるというのを聞いたのである。

私の家は、湿気が多いのか夏は蚊がもの凄く多く、それに比例するように蜘蛛の巣が至る所に張られるのである。ある日自宅の外壁のペンキ塗りを頼んだところ、そのペンキ屋、

「ここの家は徳島中の蚊を集めているんじゃないか」

と、ぶつくさと不平を言ったとたん姿が消えたと思ったら、蚊取り線香を調達して来てそこらじゅうに蚊取り線香に火をつけて置き、庭木にぶら下げ、もうもうたる煙にゴホン、ゴホンとむせびながらペンキを塗っていたのを思い出したのである。水瓶がまだあったのでメダカを趣味にしている友人宅へ貰いに行った。日頃は飲み屋でもよく奢ってくれる豪気な男なのに、メダカを譲るときは、いかにも惜しいような顔をした。

ペットってそんなものかと思った。

水瓶は表面を水草がおおってしまい、観賞しにくい欠点があった。

その後は、事務所の金魚を見るたびに職員の間で金魚の様子が話題になった。しかし持ち帰った職員の金魚は日が経つに連れて、一匹減り二匹減りと少なくなってきたらしい。それを聞いた上司は、今度は稚魚を持って来て、また持ち帰れと言った。職員それぞれがまた何らかの工夫をして持ち帰った。

庭に置かれた水瓶の水は昨年来の寒波で氷が張り水草が枯れ、また何匹かがなくなった。事務所の金魚も正月休みの管理のために、私が持ち帰ることになった。

ホームセンターに行ったとき、金魚を見た。出目金がいて らんちゅう がいた。優雅で美しかった。

ぶくぶくと泡を出すフィルターや疑似水草がセットになった安物の水草を買ったので家の中で飼うことになった。子供の頃は縁日の夜店が楽しみだった。金魚すくいもしたし、輪投げや鉄砲もした。すくった金魚はビニール袋で持ち帰ったが、数日で死んだ。時には金魚鉢で飼ったこともあるが、長くは持たなかったように思う。

よく調べてみると、家の金魚は、和金で、夜店の金魚すくいで泳いでいる奴だと知れた。限りなく鮒に近く、現在大きいのは七ミリ程度に成長しているが、未だ赤くならないのがいる。そのはず金魚のもとは鮒で、突然変異で赤いのが生まれ火鮒(フナ)となり、さらに改良されて金魚となった。徳川時代に中国から伝来し、大名など特権階級の趣味だったが、元禄時代以降になると武士が副業として養殖を行ったという。3大産地は奈良の大和郡山地方、愛知の弥富地方、熊本の長洲町であり、土地ゆかりの金魚としては高知の土佐金、島根の出雲ナンキンなどが名高いそうだ。

歳時記で見ると金魚の季語は、夏 「思いでも金魚の水も蒼帯びぬ」 中村草田男や 「紙の網あやふく楽し金魚追う」 篠原 梵などがある。

毎日眺めていると、可愛くなり、いとおしく思えるようになった。

現在少子化で0歳から14歳までの子供の数より犬猫のペット数が多いのだそうだ。

金魚のフンのように、上司と出張する機会があり、その車中金魚を職員に配った理由を聞いた。

「そごうの屋上にね、ペットショップがあってね、そこで金魚を見たのよ。可愛くてね、つがいを買って育てたのよ。そのうち一匹が死んで、寂しそうにしているので後添えを水槽に入れたのよ。そうしたら大きくなってね。20センチ近くなったの。そして秋になったらドヒャーと水草にタマゴを産むのよ。それが毎日毎日で、次々孵化していくのよ。もうバケツをね、買いたしても買いたしても追いつかないのよ。それでね貰ってもらったって訳よ。そうしないと可哀想じゃない。今は産卵期を過ぎて落ち着いているの。悪いわね。」

少子化時代だとは言うけれど、世の中難しいもので、多子社会になっても他人や他国に迷惑をかけることもあるのだなとつくづく思うのである。


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