式年


いとこに地方の小さな神社の神主がいて、伊勢神宮の式年遷宮お木曳行事に誘われて参加した。

その神主は3つ年上の女性なのだが、子供の頃母は、このいとこをよく誉めた。そのしっかり者のいとこが神社の宮司の長男の嫁に行ってやがて神主になった。

全国8万もの神社で組織する神社庁主催だから、この神社から40人を集めたいのだが、何しろ小さい町で氏子も少ない。

そこで、私たち夫婦と、妹夫婦が誘われたのだった。

 

以前から伊勢参りには憧れていた。

護国神社などで公家のように烏帽子に笏(しゃく)を持ち、束帯姿で木靴を履いた宮司がいて、笙や笛、太鼓が奏でる雅楽に舞う巫女に魅了されていたし、荘厳な社殿や参道はよくテレビなどで見ていた。

雅と神秘が織りなす光景を頭に描いていたのだ。

出発の1年も前から、このいとこ、私たちにいろいろ指示をした。

参加料の振り込みからバスの乗り場、ハチマキと法被は参加料で支給するが白装束なので、シャツからズボン靴に至るまで白で統一すること。もし必要なら神社庁御用達の業者がいるので揃えさせること。また妹夫婦の亭主方の近親者が亡くなったので、身を清めなければ参加できない、こちらの氏神さまにみそぎを受けてからバスに乗ることなどだ。

「こんなに面倒なら私止める、貴方と妹の二人で行きなさいよ」

と家内がごねる。しかし儀式とか行事とかはそんなもんだろうと私は思う。

元来行事や儀式には複雑な取り決めがあって、家の行事は年寄りが伝承した。分からないことは神主や住職に聞いた。現代は核家族になって、社会から行事や儀式は形だけになってきた。特に我々初老の人間は伝承すべき行事や儀式の様な風習とか慣わしを知らない。

家内はすぐ心変わりがする

「お神さんてスゴイわね。止めると思った瞬間にフライパンに火の手が上がったのよ。まさに神業ね」

と結局行くことになり、とにかくみそぎも済ました妹夫婦と共にバスに乗り込んだ。

義弟はバスに乗り込むまでは不機嫌だったがビールを振る舞われて相好を崩し、旅行気分になった。

私も連られた。

徳島県からは各神社から200人を越す参加者があってバス6台を連ね、伊勢神宮の式年遷宮お木曳行事に向かった。

伊勢神宮では、20年に1度、社殿や装束、神宝等を新しく造り、御大神様にお遷り頂く行事をもう1300年以上も伝承しており、これを式年遷宮と言う。

平成25年に社殿は完成するが、それまでに数々の行事があり、その一つとして”お木曳”行事がある。

バスは淡路鳴門自動車道を通過し、西名阪自動車から伊勢自動車道に乗り換え一路伊勢を目指した。車中話し声が聞こえる。

「私この行事に参加できてうれしくてね。若い人達がこういった行事に参加してくれるとね、社会はもっとましなものになるのにと思うんだよ。拝んだり祈ったりすることは、人間生活の基本だろ。近頃の若い衆はそんなこともしないんだから」

そういえば参加者は老人ばかりだ。

最初の目的地である二見興玉神社についたのはバスに乗って8時間後であった。

到着の前、神主の指示で全員白装束に着替えた。気持ちがピンと張るような気がした。誰かが 「忠臣蔵の討ち入りみたいやな」 と言った。

個性とか自由だとか、また自己実現みたいなものはないなとボンヤリ思った。

江戸時代からお伊勢参り(おかげ参り)には、みそぎの浜で心身を清める 「浜参宮」 が盛んに行われたそうだ。白砂青松の二見浦の浜を歩き夫婦岩を見て二見興玉神社の社殿に参加者全員が入って束帯姿の宮司からみそぎを受ける。

「払い賜え、清め賜え、かしこみかしこみ申す。〜」

義弟のみそぎは本日2度目だ。

夕方老舗旅館戸田屋に着いた。200名の大宴会場での食事だった。

「何これ、戸田屋って言うから期待していたのに、伊勢エビも松阪牛もないじゃない。海老はグラタンに埋まっているし、松阪牛は筋肉じゃない。修学旅行並よね。」

と家内は憤慨している。

私と義弟は、神社庁のご厚意により飲み放題となっており文句はない。

神主の仕事を聞いた。

「神主といえばな、字の書けない人や読めない人が多かった時代は、ふるさとに届いた息子の手紙を読んだりラブレターを代書したりして、地域の人の尊敬を集めていた。ところが現在は学歴が進み、そういった役所はなくなった。正月のお詣りや七五三、夏祭り秋祭りも年々寂れていった。棟上げ式や落成式も減った。参内する氏子も減ってきた。政教分離で神社主催の地域行事への行政からの補助金はなくなった。神主には教義といったものはないからお寺のように説法はしない。しかしこのような地域の風習や慣わしを伝えながら、国の成り立ちや繁栄を祈る祝詞を上げるのが仕事だ。」

といとこが言った。

部屋割りは、男と女は別々に振り分けられた。6人部屋で部屋も狭い。

老人は寝る時間が早い。夜7時には寝て、12時に起きるのだそうで、5時間も眠ると十分で12時からいくら眠むろうとしても眠られず、朝明るくなるのをまんじりともせず待っているのだと言う。夜はテレビをやっているが朝は何もない。ラジオが頼りだと言う。

それなら我慢して起きて12時に寝ればよいと思うがそうはいかないそうだ。

周りは 「そうだ、そうだ」 と同調する。

それなら同部屋の私はどうなると思う。

早い時間にいびきの大合唱、朝はごそごそと部屋で動き回り、睡眠不足のまま朝を迎えることになった。

お木曳行事は、社殿造営の用材を伊勢市内から神宮まで奉曳きするもので壮大にて勇壮、檜の丸太一本を乗せたお木曳車に200メートルの綱が2本結わえ付けられ、これを全国からはせ参じた800人もの1日神領民が 「エンヤー・エンヤー」 のかけ声を上げながら綱を曳く。

2本の綱の間には、黒のハッピを粋に着こなした地元の木遣衆が、幣(ぬさ)を振ってはやしたて、木遣り歌を歌って鼓舞する。

神領民は綱をウエーブさせながら前へ進むのだが、何しろ年寄りばかり、わずかな距離を休み休み1時間をかけて奉曳きした。

奉曳きを終え、神宮を参内する。

鳥居をくぐり、幾重の時代を積み重ねたと思われる神宮杉に囲まれた参道を進むと荘厳で静謐な神域空間を感じる。

天照御神をお祭りする内宮に二拝二拍手一礼をして敬虔な祈りを捧げた。

後日伯母が亡くなり、神道の葬式が行われた。

いとこの神主から20日間身を清めるために神に触れるなとの指示があり、私の家の神棚は半紙で封鎖された。



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