秋祭


「祭だよ祭、その当家(とうや)が酒を出さないなんて聞いたことがない」

「出さないと言ってるんじゃないんじゃ、昼間は出せないと言ってるんじゃ」

「自動車じゃないんやから、御神輿(おみこし)なんやから」

「警察の御神輿運行許可の条件に、担ぎ手は飲酒しないこととなってるんじゃ。時代が変わったんじゃ。」

御輿渡御当家及び役員会が開催されていて、揉めていた。

80歳代から70歳代後半と思われる役員17、8名が口角に泡をとばして議論している。

議論はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、その都度に修正していく老人もいた。

私は役員でも何でもなかったのに、妻が 「向こう隣の大家が御当家を務めるのよ、この前も役員さんが来て、会に出席して下さいって、頼まれたのよ。前の会は欠席したし、行かないと当日の段取りが解らないでしょう。出席したら。」 と言うので神社の社務所で行われた会に出席したら、一般の人は一人もきていなくて、地域のお歴々が集まっていた。

会が始まってから気がつき退座しようと思ったがタイミングがつかめないでモジモジいると、御当家が言う

「我々早う隠居しとうて、アンタのような若い人に替わってもらえるよう待っとんのよ、この町内の高齢化は市内でも一番進んどって若い人がおらんでな、アンタが定年になって役員になるのを首を長くして待っとったんでよ。」

「私まだ働いてますし、年も取っているし、今日は役員会とは知らず出席しまして。役員にはサラリーマンでは荷が重くて。」

「いいや、60歳代はワカイシなんやけん地区役員になってよ。」

問答無用に命令されて、渋々受けた。

会議は宵祭りと本祭の日程の段取りと役割が次々と決められていった。

四所神社では、6年に1度大和町内に御当家が廻ってくる。その度に担ぎ手として参加はしていたが役員としての参加は初めてだ。だから宵祭りの朝から参加することになってしまった。

宵は、御神輿を倉庫から出し、当家へもって帰って清掃し飾り付けを行う。そりゃ立派な御神輿で屋根をつけると高さ5メートル、金張りでてっぺんには鳳凰が鎮座している。この地域は昔大工島といって船大工の町だった。今木工の町となっているが、職人気質は今も生きていて、こんな立派な御神輿が作られたのだろう。四方に榊を差込み御幣(ごへい)をつけると厳粛な気分になった。この間に祭壇が当家の庭に作られ、お昼から役員共々参席して、宮司が当家祓い(とうやばらい)を行う。

神事の後酒盛りになった。

しばらくして当家が 「ふれ太鼓の許可をとるのを忘れとった。」 と言う。

軽自動車の荷台に太鼓とたたき手を乗せるので運行許可がいるのだそうだ。

「アンタ今から行事責任者と東署まで行って運行許可をとってきてくれんで。町内に東署でお偉いさんの○○さんがいるので何とかしてくれるやろ。」 と頼む。

この日は、国文祭初日だし皇太子殿下ご夫婦は来県しているし、東署へ行くとごった返していた。

それにもかかわらず○○さんを呼び出し、運行許可を下さいとお願いする。

「同じ町内だからと言ってできることとできないことがあるけんな。」

と不機嫌に言って若い警官に担当の上司に相談するよう指示した。指示を受けた警官が

「御神輿の運行許可をとっているんですね。ふれ太鼓は、御神輿と一体のものなんですね。スピードはゆっくりね、いいんじゃないの。」 と言った。

これぞ、大岡裁きだとにんまりとし、嬉しさが込み上がってきた。


翌日町内の人達が当家に集合した。

「人数が揃ってよかったなぁ」

役員達が言っている。

50人くらい集まっていて若い人達もいた。

神社名の入った白装束がそれぞれに渡され着替える。神社へ行って大例祭の神事が行われる。

宮司が祝詞を上げ、巫女が鈴を鳴らし、太鼓がたたかれる。

地区内の役員達が榊を供え礼拝した後、宮司から神霊(みたま)が御神輿に移された。

御神輿の隊列は、ふれ太鼓を積んだ軽自動車が先頭に行く。

続いて拍子木、露払い(桶に神水を入れ柄杓でまく)天狗(天狗の装束とお面をつけている)、指揮(笛を持つ)、御神輿(手木という御輿のハンドルに当たる物を持つ者と担ぎ手がいる)、後拍子木、会計の自動車(お賽銭を収納計算)で編成されている。

御神輿には大八車のような大きな輪が付いていて担ぐのではなく、前の者は引っ張り後ろは押すである。それぞれが 「チョウサジャ、チョウサジャ」 と掛け声を上げる。

始め、私は“ワカイシ”でハンドル役だったが、お賽銭の集まりが悪く、集金係りに回された。氏子をまわり御神輿が来たことを告げお賽銭を貰うのである。

お神さんがお越しになるのである、お賽銭を半紙に包み、門前で待ち拝礼をする家もある。ブザーを押して玄関を押しはいると快くお賽銭を出す家もある。賽銭の相場を訊ねる家、居留守を使う家、賽銭を拒む家、いろいろである。

つるべ落としの暗闇が迫ってきた頃やっと順路を終えた、歩行数は3万歩を超え、足には血豆がつぶれていた。

打ち上げになって宴会となったとき宮司が言った。

「今国文祭でいろいろな行事が行われているが、この行事こそ地域の文化活動なのです。あなた達が伝統文化を継承することで氏神様が守られ、地域が栄え、家風と言ったものが育まれるのです。」

そうだなぁと思う。

二十数億円の国文祭予算はこちらには廻ってこなかったが、こういったことが地域のためひいては家族のためになるのだと、自分を納得させるのであった。


 


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