記 partU


ガンが身近だということは解っていたつもりだった。

しかしなにかしら他人事で、こんなに早く、突然身に降りかかってくるとは思ってもみなかった。

食道癌手術の麻酔から覚めると、苦しさが襲ってきた。

人工呼吸器が肺に入っていて、自分では息ができない、声もでない。何度も試みるができない。手足は縛られていて自由の利かない手で呼吸器をはずせと訴える。

「何がしたいの、痛いの?」 遠くから声が聞こえる。暴れる。

「何なの、あぁはずせと言ってるの、それはダメ、まだレントゲンも撮らないといけないし。」

こんな苦しい思いをして死ぬのかと思う。

息も絶え絶えながら耐える。

全ての処置が終わり人工呼吸器がはずされてやっと生きてると思えた。

体中が管でつながれていた。

硬膜外麻酔を止められて(麻薬が入っており、長くは続けられない)痛みが治まらなくなった。

肺に水が溜まり、背中に太い注射針を刺して左右両方の肺から水を採った。

リンパ液は止めどなく流れ出て、収納箱に貯まっていく。就寝中もちょろちょろと不断に流れ出している。

担当医師から

「リンパ液は流出し続けると、体力が失われ、免疫力が低下する。2週間が限度でそれ以上続けば再手術をする。」 と言った。

それでも医師達はリンパ液を止めるための処置をいろいろ行った。

1日5回の皮下注射をした。

また造影剤で効果があった症例があると言って、柔らかくて痛い場所である両太股の内側に、太い注射針で相当量の造影剤を注入した。

「先生乱暴は止めて下さい。」 とわめく。

「痛がりだなぁ、大きな手術に耐えたんだから、これぐらい辛抱しなきゃ。」 と苦笑しながら言った。

「こらえ性がないんです。痛いのはダメなんです。とにかく痛くないようにお願いします。」 と懇願した。

2週間が過ぎたがこういった処置が続けられた。やがて体力が衰え血液製剤が点滴に加えられた。この造影剤がリンパ液と共に睾丸に入り炎症を起こした。

いよいよ猶予ならなくなってきた。

当初担当医師は手術の合併症だと言っていたが、教授からは乳糜瘻と言う病名で、手術箇所の胸管から乳糜(リンパ)が漏れている。よって修復手術をすると言った。

修復手術なら医療ミスでないかと思う。

クレイジーケンバンドの “助けて、助けて” のメロディが頭をよぎった。

               

手術が3時間に渡って実施された。

手術後、教授から家族に主要な胸管にチタン製のクリップを入れて止めたので恐らく流出は止まるだろうと説明した。

集中治療室では、担当医師達が入れ替わり立ち替わり次々とやって来てリンパ液の漏出具合を見て、その量の少なくなったことに一様にうれしそうな顔をしてもう大丈夫だと言って引き上げていった。

個室に戻り、日増しにリンパ液の流出が減り、やがて出なくなった。

退院が決まった日に妻が

「ひょっとしたら大部屋へ移れと言われるかも知れないわよ。私のいない間に話があったら、南の窓側にして下さいというのよ。眉山が見えていいじゃない。」 と言う。

果たして看護師長から部屋替えの話が来たので、妻の言ったとおり応えた。

しばらくして再度看護師長が来られて、

「窓側は何処も一杯で、替わってもらえる人もいないの。丁度4日間だけ特別室が空いてるの、そちらどう?」 と問うた。

「えぇ!特別室!入りたいけど、まぁ念のために家内に相談してみます。」 と応えた。

特別室は、空き部屋の時、開け放されていて部屋に入って見たことがあるのだ。

広い空間、風呂とトイレが分離され湯船も広い、応接セットが豪華で長いキッチンセットもついている。こんなところで入院していると医師や看護師の扱いも違うのだろうなぁ。見舞い客もびっくりするのじゃないかなぁ。たったの4日間ならまぁいいかなぁなどと思いめぐらし、自宅に帰っていた妻が来たので相談した。

「何贅沢言ってんのよ。」 と一喝された。

「私が泊まらなくてよくなったのに何で特別室に入るのよ。特別室の値段知っている?1日21,000円よ、個室(8,925円)だって長期だと大変なのに。それに比べて4人部屋は1,050円よ。それにあと見舞いに来てくれる人いるの?大部屋でいいのよ。」 と命令調に言った。

後日の話だが私が再入院したとき。気になって特別室の名前を見てなるほどと思った。

某地方新聞社長の名札が掛かっていた。

私の方はこの社長を知っていた。

よく中央会の会長のお供で面会に行ってお話も伺ったが、何しろ随行なのだから相手の印象が薄いのだろう。会釈してもけげんな顔をした。

この社長には専従の看護師かあるいは理学療法士がついていて、午前と午後決まった時間にその人と廊下を散歩し窓際でリハビリの体操しているのだ。人間には分というものがあることを知らされた。

                   

年度末前の退院となった。

定年退職する勤務先にも最後の1週間は奉仕することができた。しかし痛みはあったし、めまいもあった。短時間勤務の許可を貰い無事退職した。

自宅療養になって体重を量ったら、この短期間で17キロ痩せていた。

風呂で鏡に映った貧弱な自分の体を見ると、手術前のメタボの体が懐かしく思い出されるのだった。


 

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