記 partV


2008年4月1日未明、腹部に激痛が襲う。

睡眠薬を飲んで寝ようとするがすぐ目が覚める。

妻が早朝車を運転し徳島大学病院の救急に駆け込む、胆嚢炎と診断され、また元の病棟に再入院をする。

翌日担当医師の助教授が病室まで迎にきてくれて、一緒に歩いて手術室に向かう。胆嚢炎は手術の合併症の1つなんだそうだ。

助教授が 「あんまり痛そうでないですねぇ。胆嚢炎の人は痛そうに患部を押さえてもだえているもんですが」 と言う。

「冗談じゃない、痛いのを我慢してるんです」 と応える。

手術室には、担当医師が既に準備をして待ってくれていた。

担当医師は右腹部の皮膚に麻酔をしてくれたが、胆嚢には麻酔が無く、炎症を起こし膨れ上がった胆嚢にぶすりと大きな注射針を差し込んだ

「ぎゃー」 と断末魔を上げた。

涙が出た。

胆嚢に穴を開け管を通して胆汁を体外排出する手術をしたのだ。

みるみる胆嚢に突き刺さった管から胆汁が流れ出た。

真っ黒の液で白い粉のようなものが混じっていた。

普通これが胆石になるのだが、これが固まらずに濁った液で沈殿し、消化器への流れが止まっているのだそうだ。胆汁は健康な人は黄金色だそうで、今後胆汁の色を確かめながら、消化管への流れを見ると言う。

その後も、相変わらず濁った胆汁がでている。

担当医師や研修医が胆汁の色と流出量を確かめてはため息をついている。

「胆嚢は盲腸に次いで役割の少ない臓器で、摘出しても後遺症がないんだ」 と言う。

「様子を見て改善しないのなら摘出手術だな」 と言った。

こらえて欲しいと思う。

3度の手術で肋間の強い神経痛は未だ治まらず。食事も二口三口で満腹となり、それ以上食べるとお腹が痛い。胃管はごろごろ鳴るし体調はきわめて悪い。

「先生できれば手術を避けて下さい」 と懇願した。

そんな時、妻が 「保険金の不払いなんか承知しないから」 とぶつぶつ言いながら生命保険金の請求手続きをしている。

聞くと60才の時30年間掛けた保険が満期になったという。

掛金総額は、およそ300万円、満期になっての払戻金額は120万円だったそうだ。

その時、保険金の一部をおさめれば、80才まで保証があるとの説明があり(死亡保険金は100万円に下がる)払戻金のうち50万円を再度保険会社に振り込むと、手元に残った現金は70万円だったそうだ。

「成人病で大手術したんだから、それなりに保険金が下りるわよね。まぁ、80才まで継続保証にしたから良かったんだけどね。」 と言っていた。

後日106万円が振り込まれた。

成人病の大手術でも、元金300万円には及びもしない。

そりゃ、これだけでも保険金が下りたのだから喜ぶべきだろうけれど、生命保険というものは、永年せっせとかけて、その掛け金は満期になると大きく目減りしていて、掛け金のほとんどが戻ってこない仕組みとなっている。60才までに死ななきゃ元が取れない。片方の生命保険会社は、利息も含めて大儲けじゃないか。大きな資産を有するはずだ。転ばぬ先の杖とは言うものの、預金や貯金をしていた方が余程ましだなと思う。

手術後15日を経過して、治療や食事制限の結果、黒ずんでいた胆汁の色も明るくなり、量そのものも少なくなってきた。

そこで、助教授、担当医師、研修医の3人で胆汁の流れを検査したところ、胆汁が十二指腸へ流れていく様子がモニターに映し出された。

「やったー」 と助教授が叫び、他の医者も歓声を上げた。

先生方の喜びように、患者本人の私が感動した。

「もう手術はする必要がない。」 と助教授が言い。

「摘出することは無くなったが再発がしないとは言えない。もし今後再発することがあったらその時は摘出手術です。」 と担当医が気を取り直すように言った。

2008年4月19日退院

自宅療養となった。

三人に一人が一生に一度は癌になるのだそうだ。(ダイヤモンド社・三人に一人・アダム・ウィシャート著)しかも日本人男性の確率はもっと高く二人に一人が癌になるという。

最初の手術から半年を経ようとしている。

その後も帯状疱疹、耳管解放症、肩関節周囲炎等手術の後遺症に悩み、肋間神経痛に耐え、その上カロリー不足なのか二階への階段を上がるのさえ息切れがする始末で日常生活でも辛い毎日を送っている。それでも日時が過ぎれば元の体に戻るのだと、医師の言葉を信じ、気長く養生をしようと思っている。

しかし、お会いするほとんどの方が私の顔を見て

「元気そうで何より」 と言ってくださるのだが・・・・・

当の本人は、急激な体重減で筋力が落ちたためなのか、喋ることすらエネルギーを消費してしまい、息も絶え絶えという辛い状態なのだ。

妻にそれを言うと 「そういう風に見てくれるのは、貴方に死に神がついていないということよ。喜びなさいよ」 と言う。

年老いて先行きの不安もあるのだが、五輪の柴田選手が言った、“慌てず、焦らず、諦めず” の言葉通り我慢強く余生を送ろうと思っている。


 

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